昔に放送されていたものを偶然みつけました。
看護師はもう限界かも・・・
という動画をみつけました。
●もう、限界かも・・・【1/3】
●もう、限界かも・・・【2/3】
●もう、限界かも・・・【3/3】
医療の現場で看護師多く疲弊してしまっているということは
よく聴かれます。
そして、そんな中で離職していく看護師は少なくありません。
医療がよくなるためには医療者だけが奔走していてもだめです。
命に関わることだから、明日に改めてということができない。
だからこそ、多くの人が来る場なんです。
だから、患者さんに、病状がよくなったらほかの人を
優先してくださいねなんて言えません。
あなたより症状がつらい人はたくさんいますなんて
言えません。
患者さんは皆患者さんです。
患者さんの意識を変えることは難しいんです。
今の日本における看護師の役割の認識は
世代にもよります。
改めて、看護師の役割を明示していく必要があるのでは
ないでしょうか?
看護師の業務は保助看法で
①診療補助業務
➁日常生活援助業務
の2つと規定されています。
つまり、この業務の範囲内であれば、患者・家族の要望に応えることは
業務範囲内ということになります。
今回のように、花瓶の水を変えるというのはこの2つに規定されるでしょうか?
日常生活というのは、あくまでも対象となる人の日常生活を援助するわけですから
それがないことで疾患の悪化、合併症の発症、回復の促進に影響するかどうかと
いう点が非常に重要ですね。
この点からいうと、花瓶の水やりは直接的に身体への影響はありません。
ですから、お断りしても可能な業務だと考えます。
直接的にと表現した理由は、人間は周囲の環境に多かれ少なかれ影響を
受けています。そのことを加味すると、花を愛でる行為を代行することによって
患者さん自身の心が満たされ、回復に向かうと考えることもできるからです。
ナイチンゲールは「生命の消耗を最小限にする」としたことが看護の役割で
あると述べています。
このことからも、直接的に影響度は低いですが、病状への影響はゼロでは
ない以上、「花の水が・・・」と懸念する不要なエネルギーの消耗を早期に
解決することも役割だと言えると考えます。
ただし、優先順位は高くありません。
点滴をしないといけないという患者さんを差し置いて花瓶の水遣りを代行する
ことはよい援助とは思えません。
すべてをしないといけないのではなく。
何をしないといけないのかを明確にし、優先順位を立てないといけないと
思います。
あとは、
「人間関係が壊れるから」
「言い争いで時間を無駄にするぐらいなら・・・」
この辺も非常に意見としてはわかりますが
残念の一言につきます。
患者さんに対して、できないと説明するのでははく
いますることは難しいと説明するようにしてみては
どうでしょうか?
人間関係が壊れると、治療がスムーズに行かなくなる
これは、こちらの意見に対して注意が向かなくなるためですね。
どうしても、人間体人間なので互いが歩み寄らなければ
より治療過程を踏むことが難しいです。
この辺のことで出てくる単語と言えば
アドヒアランスですね。
一方的に理解させるのではなく、
双方向のコミュニケーションをとり
納得して治療を受けていただく
このことが大切ですね。
いろいろと看護実践をしていると
何でこんな?!
と思うことも多々あります。
不条理だと思うことも多々あると思います。
「こんなことあったよ~、まじでか~」
「最悪やな~」
で片付けず。
こんな風にしてみたらどうかな?と
アドバイスしあえる現場にしていきましょう。
これは、反感を買うと思いますが、
女性の場合、ホウレンソウの多くは
共感を求めるものです。
改善ではなく、必要なのはねぎらい。
だから労われたらそれで心がおちついて
しまい。改善までには至っていないのだと
思います。
不満は改善にとって
最高の発見です!!
不満をエネルギーに現場を変えていこう!
看護師はもう限界かも・・・
という動画をみつけました。
●もう、限界かも・・・【1/3】
●もう、限界かも・・・【2/3】
●もう、限界かも・・・【3/3】
医療の現場で看護師多く疲弊してしまっているということは
よく聴かれます。
そして、そんな中で離職していく看護師は少なくありません。
医療がよくなるためには医療者だけが奔走していてもだめです。
命に関わることだから、明日に改めてということができない。
だからこそ、多くの人が来る場なんです。
だから、患者さんに、病状がよくなったらほかの人を
優先してくださいねなんて言えません。
あなたより症状がつらい人はたくさんいますなんて
言えません。
患者さんは皆患者さんです。
患者さんの意識を変えることは難しいんです。
今の日本における看護師の役割の認識は
世代にもよります。
改めて、看護師の役割を明示していく必要があるのでは
ないでしょうか?
看護師の業務は保助看法で
①診療補助業務
➁日常生活援助業務
の2つと規定されています。
つまり、この業務の範囲内であれば、患者・家族の要望に応えることは
業務範囲内ということになります。
今回のように、花瓶の水を変えるというのはこの2つに規定されるでしょうか?
日常生活というのは、あくまでも対象となる人の日常生活を援助するわけですから
それがないことで疾患の悪化、合併症の発症、回復の促進に影響するかどうかと
いう点が非常に重要ですね。
この点からいうと、花瓶の水やりは直接的に身体への影響はありません。
ですから、お断りしても可能な業務だと考えます。
直接的にと表現した理由は、人間は周囲の環境に多かれ少なかれ影響を
受けています。そのことを加味すると、花を愛でる行為を代行することによって
患者さん自身の心が満たされ、回復に向かうと考えることもできるからです。
ナイチンゲールは「生命の消耗を最小限にする」としたことが看護の役割で
あると述べています。
このことからも、直接的に影響度は低いですが、病状への影響はゼロでは
ない以上、「花の水が・・・」と懸念する不要なエネルギーの消耗を早期に
解決することも役割だと言えると考えます。
ただし、優先順位は高くありません。
点滴をしないといけないという患者さんを差し置いて花瓶の水遣りを代行する
ことはよい援助とは思えません。
すべてをしないといけないのではなく。
何をしないといけないのかを明確にし、優先順位を立てないといけないと
思います。
あとは、
「人間関係が壊れるから」
「言い争いで時間を無駄にするぐらいなら・・・」
この辺も非常に意見としてはわかりますが
残念の一言につきます。
患者さんに対して、できないと説明するのでははく
いますることは難しいと説明するようにしてみては
どうでしょうか?
人間関係が壊れると、治療がスムーズに行かなくなる
これは、こちらの意見に対して注意が向かなくなるためですね。
どうしても、人間体人間なので互いが歩み寄らなければ
より治療過程を踏むことが難しいです。
この辺のことで出てくる単語と言えば
アドヒアランスですね。
一方的に理解させるのではなく、
双方向のコミュニケーションをとり
納得して治療を受けていただく
このことが大切ですね。
いろいろと看護実践をしていると
何でこんな?!
と思うことも多々あります。
不条理だと思うことも多々あると思います。
「こんなことあったよ~、まじでか~」
「最悪やな~」
で片付けず。
こんな風にしてみたらどうかな?と
アドバイスしあえる現場にしていきましょう。
これは、反感を買うと思いますが、
女性の場合、ホウレンソウの多くは
共感を求めるものです。
改善ではなく、必要なのはねぎらい。
だから労われたらそれで心がおちついて
しまい。改善までには至っていないのだと
思います。
不満は改善にとって
最高の発見です!!
不満をエネルギーに現場を変えていこう!