命ってなんだろう。

看護師をしていると
ここにいつもいる気がします。

k-51

という成り立ちがあり、
つまりは、神のいいつけにより与えられたものと
いう意味があるようです。
命はそもそも誰かによって与えられたものであると。

まぁ、
この手の話は時代が違うので
成り立ちが真意を表すものではなく、
その当時の価値観だということがわかるだけですね。


では、改めて命ってなんだろう。

看護師になるまでに、
必ず人の命がどこで終わるのかについて議論をします。

人の死はどこなのかということをです。


脳死のように、脳(脳幹、大脳)の活動が停止したことをもって
死と捉えたり、心臓が停止したことをもって死と
捉えたり様々です。

(脳死判定については臓器移植ネットワーク参照
 
以前私は
人間の体は器であり
精神こそが重要だと考え、
臓器移植を行うことに賛成でした。

でも、
子どもができてから
命ってなんだろうって思ったときに
「ぬくもり」を命と感じてしまってから
心臓の死こそが本当の死なのかもしれないと
感じるようになりました。

そして、
自分の子どもを
臓器移植の対象とすることに
抵抗を感じるようになっています。

1人の命で
多くの人が助かると
言われても

自分にとって
唯一無二の存在の命が
失われること

だれかの体の中で
生きつづけることを
どこかで肯定できないこと

純粋に悲しみでしかない

私は
子どものぬくもりだけで
癒される

ぬくもりだけで命を感じる

人間に感覚器官があるのは
互いに存在を感じられるように
するため、

コミュニケーションがとれるように
するため

ぬくもりは1つのメッセージなのだと
私は感じています。

誰かのために生きるというのであれば
生まれたときから私は子どもに生かされているような
気持ちさえあります。

命とは何なんだろう
死とは何なのだろう
自分の存在にどんな意味があるんだろう

日々あるがままに生き
他者とのつながりの中
ありのままの存在を感じられるようになりたい