“あなたらしさ”は、ここにある 介護施設経営者・加藤忠相 認知症のお年寄りたちの「問題行動」を抑え、穏やかに過ごせる介護で注目を集める施設が神奈川県藤沢市にある。代表の加藤忠相は従来の認知症介護のあり方をひとつひとつ見直して、型にとらわれない実践を行ってきた。ここでは「職員がお年寄りにつきっきりで世話を焼く」という光景は見られない。食事の配膳、植栽の手入れ・・・。あらゆる場面で利用者が持てる力を発揮する。 加藤は、心地よく過ごせる環境づくりやコミュニケーションの技術を磨き上げ、お年寄りたちに寄り添っていく。その上で、利用することになった人の経歴を検討し「どうすれば活躍できるか」を考えてお膳立てをする。この独特のアプローチによって利用者の3割以上の要介護度が改善。周囲が対応に困り果てたお年寄りたちで、いまでは施設や地域への貢献ができるまでになっている人も多い。認知症のお年寄りたちと真正面から向き合う介護現場の日々に密着する。 小規模多機能型居宅介護 【感情に働きかける】 加藤が運営する介護施設では、昼食の配膳や庭木のせんていなど、あらゆる場面で認知症のお年寄りたちが活躍する光景が見られる。認知症だからといって特別視しない。持てる力をうまく引き出せば、お年寄りたちはいきいきと動き出す。じつは、こうした加藤のアプローチは最新の研究成果に裏打ちされている。たとえばアルツハイマー病になるとまず大脳の「海馬」に萎縮が現れる。海馬は記憶を脳にとどめる働きを持つ。アルツハイマー型認知症の人が直前にやったことの記憶を体験ごと失ってしまうのはこのためだ。これに対して体で覚えた「手続き記憶」をつかさどる「大脳基底核」や「小脳」の働きは、アルツハイマー病になってもすぐには失われない。加藤はお年寄りたちの“強み”を日常の作業のなかで引き出しているのだ。 このほか「海馬」の働きが衰えるとその隣り合わせにある「扁桃体(へんとうたい)」が鋭敏になることが知られている。扁桃体は「快・不快」「好き・嫌い」をつかさどる。だから加藤は、ひとりひとりのお年寄りの個性を踏まえて「どうすれば快適に楽しく過ごせるか」を突き詰める。感情に働きかけるのだ。そのためのひとつのアイテムが、イラスト付きでエピソードを記していく介護記録。どんなことが好きなのか、どんな接し方をすれば心地よく過ごせるのか。スタッフで共有してその人にとってより良い接し方を探っている。 【一人一人に合わせて、自由自在に対応する】 加藤が認知症のお年寄りたちの介護で目標に据えるのは、自立した日常生活を送れるように支援することだ。これはまさに「介護保険法」の趣旨に合致することだが、加藤のユニークさは「自立を支援する」という目標達成のため、従来の常識をひとつひとつ点検して、疑問に感じたことは迷わずあらためてきたことにある。たとえば加藤の施設には「何時に何をやるか」という時間割やマニュアルがない。お年寄りの過ごし方にルールを作ってしまえば、それに縛られて自由自在な動きができなくなってしまう。料理を作りたくなれば包丁を持たせる。買い物がしたいのならば外に出かける。大切なのは、その人が「やりたい」と思ったそのときにやってもらうこと。好きなことや得意なことをやっていれば、お年寄りたち本来の力が引き出されて、表情も明るくなっていく。こうしてお年寄りたちは「世話をされる存在」から「自立した存在」へと変わっていくのだ。その結果「スタッフたちがひとりのお年寄りのために右往左往する」という場面はなくなり、お年寄りたちがやりたいことをフォローする余裕を持つことができる。加藤の施設では、まさに好循環が起こっている。 こうした加藤の介護においては、歩んできた人生を含めてひとりひとりのことを深く理解することが重要だ。それによってスタッフたちが瞬時に「その人にとってのベストが何か」を判断していくことができる。そのためにも加藤は舞台を設定している。年に4回開催している介護事例の発表会だ。公開の場で外部の人を招いて、お年寄りとの関わりについて発表するこのイベント。準備のため、スタッフたちはひとりのお年寄りのことを考え尽くすことになる。 【”思い”も支えてこそ、介護】 加藤にはお年寄りたちと向き合うときに大切にしている思いがある。「最期まで自分がやりたいことを実現してほしい。脇役として支える側に回って、思い残しがないようにサポートしたい」。80代の男性利用者が、孫が出場する高校野球の試合を見に行きたいと思っていた。加藤とスタッフたちは送迎の車をやりくりして男性の思いに応えた。 その実践は、高校時代の吹奏楽部の恩師の思い出による。加藤の母校が全国コンクールに出場することになった。しかしこのとき恩師はがんにかかっていて、病院は外出を許可してくれなかった。恩師は病院を退院してタクトを振ることを選び、そして母校を全国一位に導いた。その10か月後、恩師は息を引き取った。この出来事を通じて「医療や介護が果たすべき役割は、“その人がやりたいこと”を支えることにある」という思いを深めた加藤。その思いを胸にお年寄りたちと向き合う。